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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)7565号 判決

原告(反訴被告) 福井寿

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 白瀬和男

被告(反訴原告) 鈴木登多

右訴訟代理人弁護士 石田駿二朗

主文

一  原告(反訴被告)らが別紙目録記載の土地につき、存続期間昭和五〇年四月末日まで、賃料一箇月金二、四一七円、毎月末日払いとの定めによる賃借権を有することを確認する。

二  被告(反訴原告)は前項記載の土地に対する原告(反訴被告)らの占有を妨害してはならない。

三  反訴原告(被告)の反訴請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は本訴反訴を通じ被告(反訴原告)の負担とする。

事実

原告(反訴被告、以下単に原告という)ら訴訟代理人は、本訴につき、主文第一、二項と同旨および「訴訟費用は被告(反訴原告、以下単に被告という)の負担とする。」

との判決を求め、その請求の原因として

一  訴外亡福井喜文は、昭和一六年二月五日東京区裁判所において被告との間に成立した調停により、被告から、別紙目録記載の土地(以下本件土地という)を、存続期間昭和三〇年四月末日まで、賃料一箇月金一二円五七銭、毎月末日払いの定めで賃借し、その地上に同目録記載の建物(以下本件建物という)を所有していた。

二  右賃貸借契約は前記存続期間の満了にともない更新せられ、存続期間は昭和五〇年四月末日までとなり、右更新当時の賃料は一箇月金六〇四円二五銭の定めであった。

三  福井喜文は昭和三七年三月一〇日に死亡し、原告らが相続により本件土地の賃借人の地位および本件建物の所有権を承継した。

四  ところが被告は、昭和四五年六月二四日早朝、原告らの賃借権を無視して、本件建物の周囲二面に密接して高さ約一・八メートルの板塀を張り、窓、玄関入口、勝手口などを塞ぎ、表道路に到る入口にもトタン板塀を張って、本件土地に対する原告らの占有使用を妨害した。

なお、原告は同年七月七日東京地方裁判所において、被告に対し右板塀、トタン板塀を撤去すべき旨の妨害物除去等仮処分決定(昭和四五年(ヨ)第五五三二事件)をえた。

五  よって原告らは被告との間において、原告らが本件土地につき主文第一項記載のとおりの賃借権(賃料については、近隣の地代との比較などから一箇月坪当たり一〇〇円、合計二、四一七円をもって相当と考える。)を有することの確認を求めるとともに、被告に対し本件土地に対する原告らの占有を妨害しないことを求めるため本訴に及んだ。

と述べ、被告の抗弁の認否ならびに再抗弁として

一  賃料の不払による解除(その一)について

(一)  被告の抗弁(一)の事実のうち、被告主張の特約の点は認めるが、その余の事実は否認する。被告が本訴係属前に契約解除の意思表示をした事実はない。

(二)  喜文に賃料の遅滞はない。すなわち亡喜文は昭和三〇年五月末ごろ被告に対して同月分の賃料を提供したところ、被告は坪当たり二、〇〇〇円の更新料を請求して右賃料の受領を拒否した。喜文はさらに同年九月二〇日被告に対し、同年五月分から九月分までの賃料として金額三、〇二二円の郵便為替を書留郵便で送付したが、被告と同居し、従来被告の代理人として賃料を受領していた鈴木圭三からそのころ封筒とともに突き返された。これによって被告が賃料を受領しない意思は明確になったものということができ、喜文に賃料遅怠の責はない。なお喜文は、昭和三一年六月二〇日、前年五月一日から昭和三一年六月末日までの賃料合計八、四六四円を東京法務局に供託した。

(三)  喜文は右書留郵便を東京都文京区駒込追分町六九番地鈴木登多(被告)宛に発送したのであるが、仮りに被告が当時同所から転居していたとしても、同所には被告の子の鈴木初枝、同久子らが居住していたのであるし、前記書留郵便が郵便官署から返還されることなく、被告の代理人である鈴木圭三から突き返された事実からみて、被告に到達したものというべきである。また前記供託に際して、被供託者である被告の住所を前同所と記載したことが供託の無効事由とならないことは、のちに昭和三四年九月分以降の供託について述べるところと同様である。

二  無断増築による解除について

(一)  抗弁(二)の事実のうち被告主張の増築禁止の特約の存在および喜文が被告主張のころに本件建物の工事をしたことは認める。

(二)  しかし、喜文がした工事は、いずれも本件建物の二階に施した改造の域を出るものではなく、右特約にいう「建増し」には当らない。すなわち、喜文は本件建物の一階を店舗として使用してきており、家族の生活の場としての二階を、二人の子供の成長に伴い、今までの広さの中でより住み易くするために改良することにし、(イ)南西隅の物干場を従来より小さくして、畳の部屋との間に廊下を設け、その脇に小さな流し場を作り、(ロ)東側の押入のあったところに、二階での生活に絶対必要な便所を設け、(ハ)その横の手すり棚に板を張り、ガラス戸と雨戸をその外側に移し、屋根は従前のものをそのまま利用して物干場としたにすぎない。土台となる一階部分には全く手を加えていないし、(ロ)の便所が巾約三〇センチばかり本件土地に接する私道上にはみ出しているとはいえ、右私道部分については喜文がその地主(訴外人)に対して道路通行等のために賃料を支払っているのであって、本件土地とは関係のないことがらであり、被告所有の本件土地上に建増したのではない。本件特約にいう「建増し」とは、新しく部屋などを追加する「増加建築」の場合をいい、以上のような小規模の改良はこれに該当しない。

(三)  仮りに右の改良、改造が「建増し」に該当するとしても、その部分、構造、建物全体に占める割合、家族構成、職業、その他諸般の事情を考慮すると、賃貸借関係当事者の信頼関係を破壊するものとはいえないから、解除権行使の対象となしえない。

(四)  仮りに前記改造工事が「建増し」に該当するとしても、被告の解除権は、改造のときより一〇年を経過した昭和四三年三月末日の満了とともに時効により消滅した。

三  賃料の不払による解除(その二)について

(一)  抗弁(三)の事実のうち賃料遅滞の事実は否認する。

(二)  喜文が昭和三〇年九月二〇日ごろ被告に対して賃料の弁済提供をしたのに被告がその受領を拒絶したことは前述のとおりであり、その後被告において改めて賃料受領の意思表示をした事実はないから、喜文あるいは原告らに賃料債務の履行遅滞はない。

(三)  しかも喜文は、前述のとおり昭和三一年六月二〇日に同月末日までの賃料を提供したのちも、長くて五箇月おきに賃料の供託を続け、同人死亡後は原告らにおいて同様に供託を続けてきた(ただし昭和三二年九月分から一二月分までと、昭和三三年五月分から八月分までは、原告らにおいて昭和四五年一一月二八日に供託した。)。その額も昭和四三年四月一日の分からは、原告らにおいて相当と考える月二、四一七円の割合に自主的に増額して供託しているほどである。

(四)  右供託に際し、被供託者である被告の住所は前記駒込追分町六九番地と表示し、ことに昭和四三年九月一日から昭和四一年二月末日までのものについては被告の氏名を誤って「鈴木登美」と記載していたけれども、右住所の誤りについては、被告も同所に初枝らとともに同居していたことがあり、供託当時も、同所に初枝や久子が居住し、前記鈴木圭三も同所に居住していたし、原告寿もときには初枝らの家の窓から被告の姿をみかけたことがあり、喜文あるいは原告らが被告の転居先を聞かされた事実もないことなどからすると、喜文や原告らが被告の住所を間違えたとしても無理はなかったのである。また氏名の誤りは、原告らが供託手続を依頼した司法書士が記載を誤ったものである。被告もその供託通知書を異議なく受領していたのであり、右のような記載の誤りがあったからといって、供託が無効となるものとは考えられない。しかも原告らはこの誤りを発見した直後に、右誤りを訂正する旨記載し、その原告らの名下に、供託書に押捺したのと同一の印章を押捺した昭和四五年一〇月一九日付書面を被告宛に発送し、右書面は翌二〇日被告に到達したから、被告は供託金の還付を受けようと思えばいつでも還付を受けることができることになったのである。右書面の原告寿と同直喜の各名下の印彰は、印章を互に取り違えて押捺されているが、双方の印影があることに変りはないから供託金還付の妨げとはならない。

(五)  供託通知書の受領に関する被告の自白の撤回には異議がある。仮りに被告が供託通知書を受領していなかったとしても、それを受領した初枝には被告を代理してこれを受領する権限が与えられていたし、仮りにそうでないとしても、同人は、住所あるいは氏名が異るとして原告らに返還することなしに、受領したままとしておき、被告も初枝のところに供託書が来ていることを知っていたのであるから、被告が受領したのと同視すべきである。

と述べ、

「反訴につき、主文第三項と同旨および「反訴費用は被告の負担とする。」との判決を求め、答弁および抗弁として、

一  反訴の請求原因一ないし三の事実は認める。

二  同四、七の各契約解除の主張が理由のないことは、本訴の抗弁に対する認否および再抗弁において主張したとおりである。

三  同五の喜文の死亡の事実は認める。本件土地の賃借権および本件建物の所有権は、喜文の死亡により原告らが相続したものであり、原告らは右賃借権にもとづいて本件土地を占有しているものである。

四  本件土地の賃料は、昭和三〇年五月一日から昭和四五年一〇月三一日の分まで、はじめは一箇月金六〇四円、昭和三五年五月一日の分からは金六〇五円、昭和四三年四月一日の分からは金二、四一七円の各割合により弁済供託をすませており、右供託が有効であることは、本訴の再抗弁において主張したとおりである。

と述べ、立証≪省略≫

被告訴訟代理人は、本訴につき「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、本訴の請求の原因に対する答弁ならびに抗弁として

一  (答弁)

請求原因一、二の事実は認める。同三の事実のうち喜文の死亡の事実は認めるが、原告らの相続の事実は不知。同四の事実は認める。もっとも原告主張の板塀はその後被告において撤去した。

二  (抗弁)

本件土地賃貸借契約は、次のとおり契約解除によってすでに消滅している。

(一)  賃料の不払による解除(その一)

本件賃貸借契約には、借主が地代の支払を怠り、その額が六箇月分に達したときは、貸主は催告をなさずして賃貸借契約を解除することができる旨の特約があったのに、借主の亡喜文は昭和三〇年五月一日から同年一〇月三一日までの六箇月分の賃料の支払を怠ったので、被告は同年一一月二日ごろ喜文に対して本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(二)  無断増築による解除

仮りに右賃料遅滞による解除が無効であるとしても、本件賃貸借契約には、借主は貸主の書面による承諾がなければ建増しをしない旨の特約があるのに、亡喜文は、昭和三三年三月ごろ被告の承諾なしに本件建物の二階東側のほぼ中央部にあった押入れをつぶして約三尺、六尺巾の便所とし、その横(南側)にあった手すり棚を除去して屋根をつけ、壁、ガラス戸、雨戸を設けた約三尺、九尺巾の物干場とし、しかもこれらを従来の位置より東側にはみ出させ、他人の土地(私道)上にまで突き出して増築し、さらに、西南隅にあった約六尺、四尺巾の露天の物干場を除去し、そのあとに、屋根、壁、ガラス窓、雨戸を設けた廊下(約三尺、九尺巾)と流し場(約一・五尺、三尺巾)を建て増した。

よって被告は原告らに対し、昭和四五年一〇月二七日の口頭弁論期日において、予備的に、右無断増築を理由として、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(三)  賃料の不払による解除(その二)

亡喜文ならびにこれを承継した原告らは、昭和三四年九月一日から昭和四一年二月末日までの賃料の支払を怠ったので、被告は前記(一)記載の特約にもとづき、原告らに対し、昭和四五年一〇月二七日の口頭弁論期日において本件賃貸借契約の解除の意思表示をした。

と述べ、原告らの再抗弁に対し

一  喜文が原告ら主張の郵便為替を発送した当時の被告の住所は、東京都荒川区三河島一丁目二九七七番地であり、右被告の住所に宛てて賃料が送付された事実はない。喜文が昭和三一年六月二〇日に原告ら主張の供託をした事実は認めるが、被告の住所が誤って記載されており、無効である。

二  無断増築を理由とする解除権が時効により消滅したとの主張は争う。被告は、賃料不払により本件土地賃貸借契約を解除していたのであるから、無断増築を理由に重ねて解除権を行使することはできないことになり、右解除権はまだこれを行使することを得る時期が到来していないのであって、消滅時効は進行を開始していない。

三  喜文(その死亡後は原告ら)が、昭和三四年九月一日から、昭和四一年二月末日までの賃料を、そのころ数箇月ごとに、数箇月分ずつを取りまとめて供託していた事実は認める。しかし、被告は右各供託の通知を受けていないし、その各供託書には、被供託者として、原告らも認めるとおり、文京区駒込追分町六九番地鈴木登美との記載がなされており、住所、氏名ともに被告のそれと異っているのであって、右各供託はいずれも無効である。すなわち、被告は、昭和二一年一一月二八日ごろから翌二二年九月一四日ごろまで一時駒込追分町六九番地に寄寓していたことがあったが、そのころ埼玉県入間郡毛呂山町本郷二三〇番地に、昭和二七年一二月一四日ごろ東京都中央区日本橋馬喰町一丁目二四番地に、昭和三〇年三月二四日ごろ荒川区三河島一丁目二九七七番地に、昭和三二年二月二三日ごろ葛飾区新小岩三丁目二八番二二号(現住所)に順次転居していた。被告の長女初枝が駒込追分町六九番地に居住しており、同人が被告あての供託通知書を受領していたのであるが、同人は自分と無関係のことであり送り返すまでもないと考えて、これを放置していたのである。また住所や氏名の異なる供託がなされたのでは、被告としては供託金を受領することもできない。原告ら主張の訂正の書面を受領したことは認めるが、右書面が住所氏名の異なる者に供託金を還付してよい旨の供託者の同意書にあたるかどうかが疑問であるばかりでなく、喜文が供託した分については相続関係を明らかにする戸籍謄本と同意書に押捺された印の印鑑証明書の添付が必要であり、原告らが供託した分についても、右訂正の書面に押捺された原告寿、同直喜の印影が相違するため、この意味でも同原告らの印鑑証明書を必要とし、被告において原告らの戸籍謄本をとることは非常に煩雑困難なばかりでなく、印鑑証明書の入手に至っては不可能なことである。したがって原告らの訂正の書面があっても、供託が無効であることに変りはない。なお、被告は、昭和四六年三月八日の口頭弁論期日において、昭和三四年九月分から昭和四一年二月分までの賃料の供託通知書を被告において異議なく受領したとの原告主張事実を自白したけれども、右は真実に反し錯誤に出たものであるから撤回する。

と述べ、

反訴として「原告らは被告に対し本件建物を収去して本件土地を明渡し、かつ各自昭和三〇年五月一日から昭和四三年三月三一日まで一箇月金六〇四円、同年四月一日から右明渡ずみまで一箇月金二、四一七円の割合による金員を支払え。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一  被告は昭和一六年二月五日訴外亡福井喜文に対して、本件土地を、建物所有の目的で、存続期間昭和三〇年四月末日まで、賃料一箇月金一二円五七銭、毎月末日払いの定めで賃貸した。

二  喜文は本件土地上に本件建物を所有していた。

三  右賃貸借契約は存続期間満了とともに更新せられたが、右更新直前の昭和三〇年四月末日における賃料は一箇月金六〇四円二五銭の定めであった。

四  右賃貸借契約は、本訴の抗弁(一)において主張したとおり、昭和三〇年五月一日から同年一〇月末日までの賃料不払を理由に同年一一月二日ごろ解除された。

五  喜文は昭和三七年三月一〇日に死亡し、その後はその相続人と称する原告らが本件建物を所有して本件土地を不法に占有している。

六  よって被告は原告らに対し、本件建物の収去、本件土地の明渡を求めるとともに、各自昭和三〇年五月一日から同年一一月二日までの賃料、同年一一月三日から昭和四三年三月三一日まで一箇月金六〇四円、同年四月一日から明渡ずみまで一箇月金二、四一七円の各割合による賃料相当損害金を支払うことを求める。

七  仮りに右解除の主張が認められないとしても、右賃貸借契約は、本訴の抗弁(三)において主張したとおり、昭和三四年九月分から昭和四一年二月分までの賃料の不払を理由として、昭和四五年一〇月二七日解除せられ、仮りに右解除が認められないとしても、本訴の抗弁(二)において主張したとおり無断増築を理由として同日解除せられた。

八  よって被告は原告らに対し、予備的に右解除による本件建物の収去、本件土地の明渡および各自昭和三〇年五月一日から昭和四三年三月三一日まで約定の一箇月金六〇四円の割合、同年四月一日から昭和四五年一〇月二七日まで原告らにおいても認めている一箇月金二、四一七円の割合による賃料、同月二八日から明渡まで一箇月金二、四一七円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

と述べ、原告らの抗弁が理由のないことは、本訴の再抗弁に対して述べたところと同一であると述べ(た。)立証≪省略≫

理由

(本訴について)

一  原告ら主張のとおり、訴外福井喜文が被告から、本件土地を、存続期間昭和三〇年四月末日まで、賃料一箇月金一二円五七銭、毎月末日払いの定めで賃借し、その地上に本件建物を所有していたこと、右賃貸借は期間満了にともなって更新せられ存続期間が昭和五〇年四月末日となったこと、右更新当時の賃料の定めは一箇月金六〇四円二五銭であったこと、喜文が昭和三七年三月一〇日に死亡したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、喜文の死亡により、その妻である原告寿と、子である同幸子、同直喜が本件土地建物に関する喜文の権利義務を共同して相続したことが認められる。

二  そこでまず昭和三〇年五月分から一〇月分までの賃料の不払による契約解除の抗弁について判断する。

本件賃貸借契約には、借主が地代の支払を怠り、その額が六箇月分に達したときは、貸主は催告をなさずして賃貸借契約を解除することができる旨の特約があったことは当事者間に争いがなく、右特約の趣旨とするところは、債務不履行による法定解除権の発生を、賃料債務の不履行のときに限り六箇月分以上の債務不履行があった場合に制限するとともに、その反面として、民法第五四一条に定める履行の催告を要しないものとするにあり、したがって右特約にいう「地代の支払を怠ったとき」とは、地代の支払につき履行遅滞に陥ったときをいうものと解するのが相当である。

ところで、≪証拠省略≫によると、昭和三〇年四月末日に本件土地賃貸借契約の当初の存続期間が満了した直後に被告は喜文に対して更新料の支払を求めたが、金額の点で話し合いがつかず、喜文は同年九月二〇日東京都文京区駒込追分町六九番地鈴木登多(被告)宛に、同年五月一日から同年九月末日までの賃料として金額三、〇二二円の郵便為替を書留郵便で送付したこと、当時被告は同所に居住していなかったが、同所にはその子の鈴木初枝、同久子が居住しており、右郵便為替は同人らが受領したうえ、被告から本件土地の賃料の受領や更新料の請求、契約の解除等につき一切の代理権を与えられていた鈴木圭三(被告の三男)に交付したこと、右郵便為替はその後一箇月余を経た同年一一月初めごろ受領拒否の趣旨のもとに圭三から喜文に返却されたこと、以上の事実が認められる。すると右郵便為替は、当時の被告の住所に宛てて送られたものではないとはいえ、賃料の受領につき被告の代理権をもつ鈴木圭三の手中に一旦は現実に帰していたのであるから、これによって昭和三〇年五月一日から九月末日までの賃料は、被告に対し現実の提供の効果を適法に生じたものとみて差支えなく、喜文は右賃料債務の不履行により生ずべき一切の責任を免れたものというべきである。したがって喜文が同年五月一日から一〇月末日までの六箇月分の賃料の支払を怠ったことを理由とする契約解除の抗弁は、解除の意思表示の存否、昭和三一年六月二〇日になされた供託の効果等その余の争点について判断するまでもなく理由がない。

三  次に無断増築を原因とする解除の抗弁について判断する。

工事の具体的内容の点はさておき、喜文が被告主張の工事を昭和三三年三月ごろに行ったことは当事者間に争いがない。すると、仮りに右工事により被告に本件賃貸借契約の解除権が発生したものと仮定してみても、その解除権は、工事のときから一〇年を経過した昭和四三年三月ごろに消滅時効が完成したものというべきである。

被告は、昭和三〇年一一月二日ごろ賃料不払を理由に契約を解除してしまっていたから、右工事を無断増築であるとして重ねて解除権を行使することはできなかったと主張するけれども、右賃料不払を理由とする契約の解除が理由のない無効のものであることはさきに判示したとおりであり、被告がこれを有効と誤信していたというだけでは、無断増築を理由とする解除権を行使することについて法律上の障害があるとすることはできないから、被告の右主張は理由がない。

それゆえ、解除権の時効消滅を援用する原告らの再抗弁は理由があり、無断増築を理由とする解除の抗弁は、その余の点について判断するまでもなく、昭和四五年一〇月二七日になされた契約解除の意思表示が解除権消滅後になされた無効のものであるという点においてすでに失当として排斥を免れない。

四  すすんで、昭和三四年九月分から昭和四一年二月分までの賃料の不払による解除の抗弁について判断する。

喜文(その死亡後は原告ら)が、東京法務局に、被供託者を東京都文京区駒込追分町六九番地鈴木登美と表示して、昭和三四年九月一日から昭和四一年二月末日までの賃料を、そのころ数箇月ごとに、数箇月分ずつを取りまとめ供託をしていた事実は当事者間に争いがない。

被告は、右供託はいずれもその通知を受けていないから無効であると主張するけれども、民法第四九五条第三項の定める供託の通知は、供託の有効要件ではなく、債務者がこれを怠ったときに損害賠償義務を負うことがありうるにとどまるから、被告の右主張は、事実関係について判断するまでもなく、主張自体理由がない。

被告は次に、右供託は被供託者の住所氏名を誤っているから無効であると主張するので、この点について検討するに、≪証拠省略≫によると、被告は昭和二一年一一月二九日ごろから同二二年九月一四日ごろまで文京区駒込追分町六九番地(新表示、文京区向丘一丁目一六番二五号)に、初枝、久子、圭三らとともに居住していたが、その後圭三が転居するのに伴って、埼玉県入間郡毛呂山町大字毛呂本郷二三〇番地、東京都中央区日本橋馬喰町二丁目一番地、荒川区三河島町一丁目二九七七番地に順次転居し、昭和三二年二月二四日ごろからは葛飾区下小松町一七七七番地(新表示、葛飾区新小岩三丁目二八番二二号)に居住していたこと、しかし被告は本件土地の賃借人である喜文または原告らに右住所の移動を通知した事実はなく、駒込追分町六九番地の家には、被告が転居したのちも、初枝と久子が居住を続け、いわゆる町内会である向丘追分会(原告らも所属)の会員名簿には、その後も会員として圭三が通称の鈴木景三名義で登載されていたこと、昭和三〇年四月末日までの賃料は圭三、ときには初枝らが喜文のところへ取立に来ていたこと、前認定のとおり同年五月一日から九月末日までの賃料として喜文が駒込追分町六九番地鈴木登多宛に郵送した郵便為替を圭三が喜文に返却したときにも、圭三が被告の住所の誤りを指摘した形跡はないこと、圭三は、喜文が昭和三一年六月二〇日東京法務局に被供託者を文京区駒込追分町六九番地鈴木登多と表示して供託をした昭和三〇年五月一日から昭和三一年六月末日までの賃料八、四六四円(この供託の点については争いがない)の供託通知書も同年六月二五日ごろ喜文に返却したが、そのときにも住所の誤りを指摘した形跡はないこと、その後昭和三四年八月末日までの賃料についても喜文は数箇月ごとにまとめて供託を続け、被告の住所は文京区駒込追分町六九番地と記載され、その供託通知書は同所に居住する初枝が受領し、被告もその事実を知っていたが、被告ないし初枝は住所の誤りについて喜文に対しなんら申出をした事実はないこと、次に被告の氏名を「鈴木登美」と記載したのは喜文ないしは原告らが供託手続を依頼した司法書士の過誤にもとづき、被告の氏名の一部を書き誤ったものであり、同所に鈴木登美なる被告とは別の人物が居住していたわけではないこと、供託書には、いずれも本件土地の賃料として供託する旨の記載があり、このことからも、特段の事情のないかぎり、賃貸人である被告を被供託者とする供託がなされたものと推測できること、喜文ないしは原告らにおいて、被告が容易に供託金の還付を受けられないようにするために、ことさら被告の住所氏名を違えて書いたと推測されるような事情は全くないこと、以上のような事実が認められ、これに反する証拠はない。右認定のような事実関係のもとにおいては、喜文(その死後は原告ら)がなした昭和三四年九月一日から昭和四一年二月末日までの賃料の供託は、被告のかなり旧い住所が記載され、氏名の一部に誤記があるとはいえ、被告を被供託者とするものと認めることができ、被告に対する供託として無効のものとまでは解せられない。

被告は、住所氏名が誤っているため、被告が供託金の還付を受けることができないと主張するが、これとても原告らの協力があれば不可能なわけではなく、喜文ないしは原告らがわざわざ供託の労をとったのも、被告の受領遅滞がそもそもの原因であることを考慮すると、右のような事情も、供託の通知を欠く場合と同様に、供託を無効とするものではなく、供託者ないしはその承継人に損害賠償義務を負わせる事由となることがありうるにとどまるものと解するのが相当である。そして、喜文が昭和三〇年九月二〇日ごろ被告に対し同年五月一日から九月末日までの賃料の現実の提供を適法になしたにもかかわらず、被告がその受領を拒絶したことは前認定のとおりであるから、被告は右受領の拒絶により、特段の事情がないかぎり、その後に提供されるべき賃料についても受領拒絶の意思を明確にしたものと解すべきであり、その後に被告が自己の受領遅滞を解消させるための措置を講じたと認められるような事実の主張立証はないから、右供託は、事前の提供の有無について判断するまでもなく、有効であり、昭和三四年九月一日から昭和二一年二月末日までの賃料は、右供託により弁済の効果を生じたものというべく、被告の右賃料遅滞を理由とする契約解除の抗弁は理由がない。

五  すると、本件賃貸借契約の終了に関する被告の抗弁はすべて理由がないことに帰し、原告らは本件土地につき、存続期間昭和五〇年四月末日まで、賃料一箇月金二、四一七円(約定の金六〇四円二五銭を超えて原告らが自認する額)、毎月末日払いとの定めによる賃借権を現に有しているものといわねばならない。

六  次に被告が昭和四五年六月二四日早朝、本件建物の周囲二面に密接して板塀を張り、窓、玄関入口、勝手口などを塞ぎ、表道路に到る入口にもトタン板塀を張った事実および、原告らが同年七月七日被告に対する右妨害物除去等の仮処分決定(当庁昭和四五年(ヨ)第五五三二号事件)をえた事実は当事者間に争いがない。その後被告において右板塀を除去したとの被告主張事実は、原告らにおいて明らかに争わないところであるけれども、これを前記争いのない事実と併せ考えると、前認定の賃借権にもとづき、貸主である被告に対し、本件土地に対する原告らの占有の妨害の予防を求める原告らの請求は理由がある。

(反訴について)

一  喜文が被告主張のとおり本件土地を被告から賃借して、その地上に本件建物を所有していたこと、その賃料が昭和三〇年四月末日当時一箇月金六〇四円二五銭の定めであったことは当事者間に争いがない。

二  被告の賃貸借契約解除の主張がいずれも理由のないことは本訴についての判断二ないし四において説示したとおりであり、昭和三七年三月一〇日に喜文が死亡し、原告らが本件土地建物に関する喜文の権利義務を共同して相続したことは同一において判示したとおりであるから、本件建物の共有者である原告らは、喜文から承継した賃借権にもとづき適法に本件土地を占有しているものというべく、原告らに対し、本件建物の収去、本件土地の明渡を求める請求および原告らの占有が不法占拠であることを前提として賃料相当損害金の支払を求める請求はいずれも理由がない。

三  そこで賃料の請求について判断する。

昭和三四年九月一日から昭和四一年二月末日までの賃料が適法な供託により弁済の効果を生じたことは本訴についての判断四において説示したとおりである。

次に喜文が昭和三一年六月二〇日被供託者である被告の住所を文京区駒込追分町六九番地と表示して昭和三〇年五月一日から昭和三一年六月末日までの賃料八、四六四円(計算上一箇月金六〇四円五七銭強の割合となる)を東京法務局に供託したことは前示のとおり当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、昭和三一年七月一日から昭和三四年八月末日までの賃料は喜文において、昭和四一年三月一日から昭和四五年一〇月末日までの賃料は原告らにおいて、いずれも数箇月ごとに数箇月分を取りまとめて(ただし昭和三二年九月一日から一二月末日までの分と、昭和三三年五月一日から八月末日までの分は、原告らにおいて昭和四五年一一月二八日に)、昭和四三年三月末日までの分は少くとも一箇月金六〇四円の割合、同年四月一日の分からは一箇月金二、四一七円の割合によって、東京法務局に供託を続けていたこと、これらのうち昭和四五年五月分までの賃料(ただし昭和三二年九月一日から一二月末日までの分と昭和三三年五月一日から八月末日までの分を除く)については、被供託者である被告の住所を文京区駒込追分町六九番地ないしはその新表示である文京区向丘一丁目一六番二五号と表示して供託がなされたことが認められる。しかし、右のように被供託者である被告の住所を文京区駒込追分町六九番地ないしはその新表示である同区向丘一丁目一六番二五号と表示してなされた供託も被告に対する供託として有効であり、被告に対する供託の通知の有無は右供託の効力を左右するものではなく、また賃料の事前提供をまつまでもないことは、本訴についての判断四において説示したとおりである。

なお圭三が、喜文に対し、昭和三一年六月二〇日に供託せられた昭和三〇年五月一日から昭和三一年六月末日までの賃料の供託通知書を返却したことは、さきに本訴についての判断四に認定したところであるけれども、右のような事実があるというだけでは、一旦発生した供託による弁済の効果が失われるものではない。

すると、被告が支払を求める昭和三〇年五月一日から昭和四五年一〇月二七日までの賃料債権は、すべて供託により弁済の効果を生じ、消滅したものというほかはなく、被告の反訴請求は賃料の点についてもすべて理由がない。

(むすび)

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求はすべて正当として認容し、被告の反訴請求はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 平田浩)

〈以下省略〉

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